公立高校生の新たな挑戦

どん底からビッグな男へ

【後編】人生最大のスランプと人生最大の努力

 みなさん、お元気ですか?

 

 2020年現在、日本の公立高校に通う高2男子、SEAです!

 

 

 今回は、前回に続いて、今まで僕がどんな人生を歩んできたのか、簡単にご説明させていただきます。

 生まれてから今に至るまですべてを話すとなると、ネタ切れになってしまうので、人生最大のスランプと人生最大の努力について語ります!

 

 

 

今回はその後編

人生最大の努力


 

 

 僕にとって人生最大の努力は、高校受験勉強です。

 

「いやいや、待てよと。お前、まだ16年しか生きてねえじゃねぇか!」

 

 そんなふうに思う人もいらっしゃると思います。その通りです!僕はまだまだ経験の浅い若造ですが、少なくともこの16年間の中で最も努力したことが高校受験勉強でした。

 次から詳しく見ていきましょう!

 

 

 

 

 

挫折直後のターニングポイント

 

 前回の記事でもお話しましたが、合格発表後の災難にとてつもなく悩まされて、死にたいと思うほど病みました。本当に前を向けない自分も情けなかったし、中学受験に投資してくれた両親にも申し訳ない気持ちでいっぱいでした。後から聞いた話ですが、僕の中学受験にかかった費用は約100万円。僕が受験さえしていなければ、両親は海外旅行に行けていました。受かってたら良かったねってなりますが、落ちたら話はまた別です。お豆腐メンタルすぎて大変な時期でした。

 

 しかし、そんな僕にターニングポイントが訪れます。

 受験後。小6の3月。受かっていたら通うつもりもなかったのですが、また3年後の高校受験に向けて勉強しなければならなかったので、継続して進学塾Eの高校受験に向けたクラスに入りました。ところで、公立の中高一貫校の受験は、とても倍率も高くて運ゲーとも言われていました。とある中高一貫校の初年度の倍率は17倍だったとか。それでも、「いやいや、それは受験なんだから実力だろ。」っていう人もいると思います。それもそうだと思いますが、ただ、これだけ言えるのは、僕の友達に公立中高一貫校に落ちて高校受験でリベンジを果たして難関高校に結果として入ることができた人はたくさんいます。僕もその一人だと思います。中には、開成や筑駒、早稲田、慶應などに受かった友達もいましたから、必ずしも公立中高一貫校に行けなかったから、自分には勉強の才能はないと決めつける必要はありません。という意味で、運ゲーという話をしました。話を戻します。そんな訳で、その高校受験に向けたクラスには、結構中高一貫校に受験して落ちてしまった人がたくさんいました。もちろん、僕が受験した公立M中等教育学校に落ちてしまった人もいました。僕はそれが心強かったです。同じ境遇にいる仲間がいることは、「自分一人じゃないんだな」って思えるし、「一緒にリベンジできるように頑張ろうぜ」って気持ちになるからです。ですから、よりクラスの結束力は強かったと感じました。

 

 時は、その初回の授業後に来ました。

 授業後。僕は塾長のT先生に呼ばれました。塾長とは、その塾の校舎の中で一番偉い人です。ちょうど先生の入れ替わりもあって、新しくやってきた先生でもありました。その先生、T先生は後に僕の恩師となります。高校生になった今でも連絡を取っているくらいです。呼ばれた時は、挫折感でいっぱいだったので怖かったのと、僕だけ特別に呼ばれたという嬉しさからの期待感の両方がありました。

 

 職員室の前の机のところに呼ばれました。2人が席に着くと、T先生がこう言いました。

「公立K高等学校に行こう。」

突然すぎてわけわかりませんでした。そもそも、K高は僕が住んでいた近辺で偏差値がとても高い高校で、優秀な知り合いですら落ちていた高校でした。「そんな高校にいきなり行こうって言われても、こっちは落ちたばっかの小6なんだけど…」と思いながら続けて先生の話を聞きました。

「あれだけ中高一貫校に落ちた人の中で、お前だけを呼んだのはなんでだと思う?お前には、ガッツがある。お前がクラスで率先して頑張れ。そしたらみんなも付いてくる。その落ちた悔しさを忘れずに、ちゃんとあと3年後の高校受験でリベンジを果たせ。もう戦いは始まっている。お前ならK高に受かる。」

僕は、とても嬉しかったです。闇の中でうずくまっていた自分に救いの手を差し伸べてくれた救世主のようでした。また、もうその日からたくさんの課題をもらいました。僕はそれを欠かすことなく、しっかりとこなしました。その日こそ、僕が人生最大の努力をすることになる転機でした。

 

最悪の中学生活スタート

気持ちが晴れずにいた中学入学

 小学校を卒業し、中学校に入学することになった僕は、結局第2志望校には行かず、近所の公立中学校に行くことにしました。しかしながら、受験に落ちて行きたくなかった中学校でしたから、本当に入学式は最悪の気持ちだったことを覚えています。もちろん、周りには受験なんてしてない、まだ幼さが抜けない新中1ばかりでしたから、それに対して自分は勉強してきたんだというプライドはありました。ですから、周りの新入生が中学入学にワクワクしている中、僕は早く高校受験でリベンジしてやるという感じでした。僕の気持ちが晴れなかったからか、入学式は大雨でした。気持ちも天気も晴れない中学入学でした。

勉強に対する周りからのプレッシャー

  僕が入学した公立中学校は、概ね3つの近所の公立小学校からの入学者でした。僕が卒業した小学校からの入学者もそこそこいて、その人たちは僕が小学校でどんな立ち位置でどんな学力を持っていたかも知っていました。ですから、入学した後、初めましての人たちから「お前ってめっちゃ勉強できるんでしょ!」とか「どこどこ受験したんでしょ。どうだったの??」(いやこの公立中学校に来てるんだから、受験に落ちてるやろ。)とか言われるわけでした。もうそれが嫌で嫌で、でも見栄は張っていたくて学級代表委員長になったりして、優等生オーラを出していました。同学年だけでなく、入部したサッカー部の先輩にも言われましたから、それも苦痛でしかありませんでした。そんな感じで、勉強に対するプレッシャーはとても大きかったと思います。

プレッシャーに押しつぶされた弱い自分

 早期に志望校が決まるも、中学入学と同時に訪れた災難により、僕はどんどんそのプレッシャーに押しつぶされていきました。これは、親友にも言っていなかったのですが、僕は初めての定期試験で「大きな過ち」を犯しました。それは、答案を書き直して先生に採点ミスだと提出したことでした。数学のテストでした。なんでそんなことをしたのか、今では自分でも不思議で点数も90点台でしたからなんでさらに上乗せしようとしたのか、分かりません。おそらくプレッシャーに押しつぶされた弱い自分が、もっと高い点数を取って周りの人たちと差をつけたいと思っていたからではないでしょうか。そんな弱い自分をさらに情けなく思いました。

 

 

充実感を感じるようになった中学生活

正々堂々と戦うことへの誓い

 大きな過ちを犯してから、僕は正々堂々と戦うよう誓い、更なる努力を重ねるようになりました。今ではあの過ちがなければ、弱い自分がどこか心の中にいるまま、高校受験に挑まなければならなかったなと実感しています。母から言われた言葉を覚えています。

「因果応報」

悪いことをしたら悪いことが、良いことをしたら良いことがやってくると。だから、正しいと思うことをしなさいと。そう言われました。それがまたひとつの転機になりました。

周りからの信頼獲得

 正々堂々と戦うようになってから、勉強でも部活でも学校生活でも周りから信頼されるようになりました。定期試験の結果もどんどん良くなり、学年1位を安定して取れるようにもなりました。また、2年生になって先輩からキャプテンマークを渡され、サッカー部のキャプテンになり、チームを率いる大事なポストに就きました。キャプテンマークには歴代の先輩の汗が染み込んでいて、僕はそれを洗うことができませんでした。それから、生徒会長の誘いを受けて、生徒会副会長にも就任しました。その生徒会長とは今では僕の親友の1人です。正しく歩を進めるように後押ししてくれた先生方や友達にはとても感謝しています。特に中2は信頼が結果として表れるようになったと思います。

憧れの高校へ 文武両道への誓い

 志望校のK高は文武両道としても有名でした。ですから、僕も文武両道として頑張れるように、日々練習を欠かさずやりました。個人的な目標に、地区の選抜に選ばれるという目標があって、それに向かって、毎日リフティング1000回やったり、シュートやパスの精度を上げたりと、自分の課題に合わせてメニューを組んで工夫して練習していました。部活が終わった後も、近所の公園で暗くなっても蹴りこみました。

サッカー人生における最大の挫折

 そんな勉強とサッカーに奮闘していた僕にサッカー人生における最大の試練が訪れました。

「第5腰椎分離症」

整形外科の医師にそう言われました。原因はサッカーのやりすぎによる体への負担ということでした。治るのに見込みはなくて、少なくとも練習に復帰できるのは3か月後という話でした。正直、選抜に向けてあそこまで練習して、思ったことがありました。

「俺、サッカーで食っていけねぇな。」

ぶっちゃけJリーグとは言わずとも、トヨタみたいに会社員でありながらプロサッカー選手としてサッカーしたり、地域でサッカーのコーチとして教えたりできるレベルでサッカーを頑張りたいと思っていました。しかし、僕はあの怪我を機に、見切りをつけました。勉強でしっかり成果を出せるようにしようと。

最後の夏の大会

 中3の4月頃。怪我から復帰すると、すぐに最後の夏の大会に向けて練習を始めました。もともと、チームはそこまで強くなかったので、まず予選を勝ち上がろうと必死でサッカーに取り組みました。実は、公式戦で一勝もしたことがないチームでした。「まず一勝」それをモットーに公式戦に臨みました。初戦。なんと僕が中学受験で落ちた公立M中等教育学校と対戦になりました。意地でも勝ちたいと思いましたから、前半から激しい攻防になりました。そしてPKのチャンスが来ました。PKをもらった2年生が蹴りました。「GOAL!」先制点を取りました。そしてタイムアップ。それがチーム初の公式戦勝利でした。その後も予選は続き、最終戦。勝てばトーナメント進出。しかし、最後の最後で競り負けました。それで僕の最後の夏の大会は終わりました。と同時に頭の中は受験でいっぱいでした。

 

 

受験勉強への専念

部活引退と共に始まった本格的な受験勉強

 部活の引退が決まると、受験勉強により一層力が入りました。塾も授業が週6で休みの日も自習で塾に行っていましたから、毎日学校が終わると塾に行って勉強する日々でした。タスクがどんどんたまっていくので、その与えられたタスクに優先順位をつけて優先順位の高いものから、しっかりとワークアウトしていきました。どれだけ時間をかけたというより、どれだけタスクをこなせたかです。その点、勉強時間より勉強の質が圧倒的に良かったと思います。安心するまでひたすら勉強することでした。

死ぬほど勉強した「夏休み」

 夏前から死ぬほど勉強していたわけですが、夏休みは死ぬほど勉強しました。具体的に言うと、朝7時に起きて8時30分には家を出て塾に行き、9時から12時30分まで宿題をやり、15分昼食休憩をとった後、13時から数学のテストを受け、14時には授業が始まり21時30分に授業が終わり、ちょっと自習して22時に帰って風呂入って軽く飯食って勉強して深夜1時くらいに寝る生活をしていました。勉強時間ってより、とにかく本当にタスクベースでものを考えていたので、その時間がないと逆にタスクが終わらないという感じでした。その成果は出たと思います。

「努力」が模試の結果として…

 夏明け、どんどん模試を受けました。一つ思ったことは、高校受験勉強の手応えと、中学受験勉強の手応えが大きく違って、「俺、頑張ってるじゃん!」というのが実感できるようになりました。塾内模試で、塾内1位を取った時は本当に嬉しかったです。スキマ時間すら気を抜かずに積み重ねて勉強したので、それが少しずつ結果として出るようになったのは、モチベーションの維持に繋がりました。ただ、担任の先生にいつも顔色を見られて、「ちゃんと寝てるの??」って言われていました。個人的には、受験期は6時間睡眠で十分でした。寝てると起き上がって「これやらなきゃ」ってなる日もあったくらいでしたから。それは本当に志望校に対する「愛情」たるもののおかげでした。

思いがけない「合格」そして母の涙

 そして、いよいよ受験シーズンに入りました。多分、5校くらいに出願しました。ただ、男子校には意地でも行きたくなかったので、共学しか受けていません。1つ目の受験は、地方の私立S学園でした。手応えがありまくっていましたので、普通に合格しました。これでなんとなく受験の雰囲気をつかむことができたと思います。2つ目は、第1志望校のK高の推薦入試でした。K高の推薦入試は独特で、小論文に文系と理系の2つがありましたから、なかなか面白かったです。僕は人と会話するのが好きなので、集団討論も個人面接も大いに楽しみました。一番効果があったのは、集団討論の前に周りの討論をする受験生とよく話したことです。これで緊張もなくなって討論を楽しめました。でも倍率も高かったのでダメもとでした。

 合格発表日。落ちたと思っていたので、発表と15分くらいずらして見に行きました。人もちらほらで「まさかないだろう。」と思っていたら、なんと受験番号があったのです!!嘘だと言う母に受験番号を渡して代わりに見に行ってもらいましたが、ちゃんと合格していました。本当に嬉しかったです。頑張ってきて良かったと思える瞬間でした。ただ、びっくりの方が大きかったです。

 隣で母が涙しているのを見て、「なんで俺より先に感動して泣いてんだよ。笑」とか思いながら、「今までありがとうございました。」と言いました。中学受験がダメだったからこそ、この合格はとても大きなものだったと実感しています。

 一つ悔しかったことは、ほかの国立と私立の難関校を受けさせてもらえなかったことです。推薦は受かったら必ず行かないと行けなかったので、ほかの高校に受験することは中学校からもストップされました。父は公立K高、国立T高、私立W高の三冠を願っていたので、それは少し残念でした。

 

 

おわりに

 以上が、僕にとっ「人生最大の努力」でした。

 

 今回の記事、いかがでしたか?

 自分なりによく思い出してまとめてみました。ここまで長い文章を読んでくれた方々、ありがとうございます。

 受験勉強を終えて、最も大切だと感じたのは「感謝」です。そもそも勉強できることは当たり前ではないし、世界には勉強したくても勉強できない子供たちがたくさんいます。まず、勉強できることに感謝して、受験が終わった時には「ありがとう」の言葉を言うことが何よりも大切なんだと思います。僕はこれから大学受験を控えています。また新たな戦いが始まります。これからも感謝の気持ちを忘れずに、努力を積み重ねていきます。

 

 もし気に入って頂けたら、☆、「読者になる」ボタンをお願いします。家族や友達にもシェアしていただけるとありがたいです!皆さんの人生がより豊かになりますように!