【TOEFL iBT 100 への完全攻略】
今回のテーマは、TOEFL iBT 100への完全攻略です。他に受験された方々からアドバイスを沢山いただきました。それを今回は4技能別にまとめていきます。
4技能別学習法
【Writing】
・1つのトピックで何回も書き直しをする。
・ネイティブに添削してもらう。
・listeningがキーになるので、アメリカ英語のリスニングを鍛えること。
・毎日、英語で日記を書く。(書きたかったことが書けないと調べる。その調べたことは忘れにくい!)
・使えるテーマを持っておく。それを論理的に使って書けるような能力を身につける。
【Reading】
「多くの単語を知ること」×「多くの英文に触れること」
・Skimming(流し読み)しながら、頭の中で段落ごとの大体の内容を要約する練習をする。(速く読めた者が勝つ!)
・ボキャブラリーを増やす。(まずは鉄壁をマスターする。)
・過去問を何周もする。
・とにかく沢山の英文に触れること。
・語源の本を読む。
1. Instant Word Power 2. Word Power Made Easy
・SATのための単語帳(ネイティブのためのもの)を使う。
【Listening】
・TEDでトレーニングをする。
・Youtuberの言っている事が分かるようになる。
・YouTubeでオージー、アメリカン、ブリティッシュ全部ある程度アクセントに慣れておく。
Liam Thompson (イギリス)
【Speaking】
・ネイティブの話し方真似できるようになる。(Speakingはカジュアル英語でOK)
・高校にALTの先生がいらっしゃれば、毎日15分、ネイティブの先生の所に行って会話しにいく。
・listeningがキーになるので、アメリカ英語のリスニングを鍛えること。
・writingの延長として考える。頭の中で英作文して、それを話すだけ。
・シャドーイングを行う。
・海外の友人を作って日常的に会話する。
すべてに共通すること
・とにかくアメリカ英語のリスニングを鍛えること。
・問題傾向に慣れること。
・例題を解いて、できないところを中心的に学ぶ。
・ネットの教材を使う。
・Youtubeでコツを学ぶ。
・こういうテストものの形式に慣れる事ばかりではなく、楽しみの中での日常英会話力もバランス良く上げてといい。
・『アメリカ英語』を知ること。
Conclusion Comes Fast (結論が先に来る)
基本的なアメリカの文章の書き方。
1. 最初に、主題を述べる。
先に結論を言ってしまう。オチまで言う。
2. 次に、最初の文だけ呼んだら分かるパラグラフの構成を作る。
読んだらそのパラグラフの核を掴める。
3. 最後に、オチのオチまで深く、+αを述べる。
※プレゼンする時も生きてくる。
※随時更新します。
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【IELTS 9.0 への完全攻略】(究極の英語学習法)
今回のテーマは、IELTS9.0への完全攻略と究極の英語学習法です。なぜテーマが2つなのかは後の記事を読んでいただけるとわかります!IELTSは、僕自身も受験したことがありますし、他に受験された方々からアドバイスを沢山いただきました。それを今回はまとめていきます。
※究極の英語学習法だけを知りたい人は「IELTSの特徴は?」に飛んでください!
そもそもIELTSとは?
そもそもIELTSを知らないという人もいらっしゃると思います。まず、IELTSを説明します。
※公式サイトや他のサイトでしっかりまとめてあるものがあります。ここでは簡潔にまとめるので、もっと知りたい人はそちらの詳しい方をご覧下さい。
IELTS (International English Language Testing System) アイエルツは、海外留学や海外移住の際に必要な資格の1つで、英語力を判断するためのテストです。
よくIELTSはTOEFLと比較されることがありますが、一般的にIELTSはイギリス、TOEFLはアメリカというイメージを持ってもらって大丈夫です。ただ、アメリカでもIELTSをOKしている大学も多くありますので、行きたい大学がどの試験を求めているのか?を調べた上でIELTSを受験するのか、TOEFLを受験するのか、決めてください。
IELTSには2種類あります。
海外の教育機関への進学を希望する人は、一般的にAcademic Moduleを受験します。海外への移住、企業研修等を希望する人は、一般的にGeneral Training Moduleを受験します。ですから、海外大学進学を希望する人は、Academic Moduleを受験します。
テスト結果は1から9のバンドスコアで示されます。リスニング、リーディング、ライティング、スピーキングの各パートごとのバンドスコアと、平均値のオーバーオール・バンド・スコアが与えられます。スコアは0.5刻みです。
テスト結果の有効期間は2年間、受験資格は16歳以上で、受験料は2万くらいします。結構料金も高めなので、闇雲に受験するのではなく、しっかりと目標を自分の中で設定しながら受験しましょう。
IELTSの特徴は?
IELTSの面白い所は、「IELTSのためにトレーニングをした者が勝つ!」というよりも、「日常の英語力」を図ってる所です。つまり、IELTSで高スコアを取るには、「日常的に英語に触れる」ことが重要です。
つまり、「普段の英語学習法」と「IELTS9.0をとるための学習法」は変わらないんです!
考えてみてください。外国人から見たら僕たち日本人はみんな日本語のネイティブスピーカーなんです!言語習得で大切なのは「慣れ」ですから、とにかく毎日英語に触れましょう。下に慣れるための学習法を載せておきます。
【毎日できる英語学習法】
・好きな海外のYoutuber見る。
・podcastで好きな英語のラジオを聞く。
・BBCといった英語の記事を読む。
・BBCニュースを見る。
※BBCを推してるのはイギリス英語に慣れるため。
4技能別の学習法
次は、4技能別の学習法を箇条書きで簡潔にまとめます。
※紹介していく順番は、IELTSを受験する順番と同じです。
【Writing】
・客観的にものを書く練習をする。
・要約問題の異なるタイプの練習をする。
・IELTS LIZ (Youtube)の説明を見る。
・ネイティブに添削してもらう。
【Reading】
・Skimming(流し読み)しながら、頭の中で段落ごとの大体の内容を要約する練習をする。(速く読めた者が勝つ!)
・とにかくIELTSの問題を解いて、IELTSの問題に慣れること。
【Listening】
・ディクテーションの練習をする。
・学術的なトピックに慣れる。
・どこで落としているか確認すること。語彙なのか、文法なのか。それとも、選択肢の意味を取り違えているのか。
・沢山聞いて、語彙力、文法力を高めていく、地道な作業が大切。なかなか伸びないと感じるかもしれませんが、焦らずやっていく。
・Youtuberの言っている事が分かるようになる。
・YouTubeでオージー、アメリカン、ブリティッシュ全部ある程度アクセントに慣れておく。
Liam Thompson (イギリス)
【Speaking】
・ネイティブの話し方真似できるようになる。(Speakingはカジュアル英語でOK)
・能動的な会話力が評価されるので、自分から積極的に話す練習をする。
・「楽しかった!」という人の方が点数が高いので、とにかく英会話を楽しむ。
※随時更新します。
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当事者が語る【最強の子育て方法】
今回は、一人っ子として育てられた当事者の僕が、両親の子育て方法から学んだ【自分の子供にしてあげたい子育て】と、【自分の子供にしてあげたくない子育て】をまとめます!
【自分の子供にしてあげたい子育て】
・幼少期や小学校低学年くらいまでは、とにかく「やったことや成果に対してちゃんと褒める」こと。
(ある程度年齢が重なって、褒めると調子乗る時期になったらやめる。)
・小学校高学年や中学生くらいからは、「簡単なことでは褒めず、むしろ成果に満足させずにスパルタになる」こと。
(これに関しては、褒める時期からどのタイミングでスパルタに移行するのかは個人差があるので、しっかり子供の様子を見て見極める。)
・「〇〇をやりなさい」とは言わずに、「〇〇をやらずに、社会で大切なことを勉強しなさい。」と言う。
(これもある程度勉強する習慣や、スポーツか何かで目標を持って頑張る習慣がついてからの方が効果が大きい。なぜなら、特に子供はやったらダメと言われることがやりたくなるから。自分は、勉強なんかするなって言われたとき、「勉強しないと将来成功できない」と思っていたから余計勉強したくなった。それを真に受けるレベルなら逆効果なので注意。)
・「子供の本気度」を見極めるために、何かやりたいと言ったとき、「なんでやりたいのか?」を深く問い詰める。
(なんでを繰り返すことで、物事の本質をどこまで理解しているのか、がわかる。すると、やりたい本気度もわかる。例えば、「友達がやってるから」だと、その友達がそれを辞めたら自分も辞めることになってしまうから、それは本当にやりたいこととは言えない。)
・勉強を教えるとき、すぐに答えを言わずに、「なんで?」を繰り返す。
(これは思考力や忍耐力を高めることに繋がる。物事の本質を見極める力もつく。)
・お小遣いに関して、幼稚園生、小学生はポイント制で、中学生からは月給制。
(最初はやった分だけ評価されるポイント制の方が沢山やったらその分お金が貰えるから子供にとってはモチベになる。次にちょっと大人になった中学生では、月給制にすることでその後の社会のシステムに慣れる。もちろん決められたことを怠ったら点引きになるし、それはバイトの練習にもなる。)
【自分の子供にしてあげたくはない子育て】
・子供が挫折に直面したとき、その失敗や不合格を親戚や知り合いに報告しないこと。
(それが受験とかで、受験にあたって支援してもらったのなら言うべきだろうが、自分が挑戦したある試験や面接などの失敗や挫折を第三者に話すのは煽りにしか思えない。)
※一人暮らしを始めるまで思ったことは追加して更新していきます。
【Turning Point】どん底からビッグな男になるため…
2020年4月某日。
僕は高校生活最大の「どん底」を味わった。
英国留学「断念」
昨年11月。とある財団に応募することを決意した。その財団は英国留学を全面支援してくれる、なかなかない財団だ。
それから僕は死ぬ気で勉強した。特に英語。元々、英語が苦手だったので半端なく勉強した。ケンブリッジ大学に行きたかった。世界最高峰に挑戦したかった。最終選考まで残り、IELTS受験を経て、最終面接に臨んだ。言いたいことは言い切った。
しかし、不合格だった。
めちゃくちゃ悔しかった。死にたいとも思った。今まで努力してきた自分に申し訳なかった。
では、なぜ僕が財団の専攻に落ちたから、英国留学を断念したのか?
ファンデーションコースに通えば、まだケンブリッジ大学に行ける可能性がある。だが、現時点でイギリスに行きたいという気持ちは一切ない。この結果は、イギリスでなくて正解だったと私に教えてくれたからだ。選考委員長に言われた。「イギリスではなく、アメリカの方が成功するのではないか。」と。僕は元々、アメリカ志望だった。財団に応募したのは、ダメでも確実に英語力はつくと思ったからだ。経験は無駄にならない。今はアメリカの大学進学に向かって、気持ちを切り替えようとしている所である。
しかし、これが高校生活最大の挫折に変わりなかった。
家庭では、コロナの影響で出張した父は不在で、パートの仕事を持つ母と一人っ子の僕で二人暮らしだった。
僕は少し期待していた。両親の励ましの言葉に。中学受験に失敗した時は、本当に励ましてくれたし、前を向けなかった僕にたくさんのアドバイスをしてくれた。
しかし今回は励ましもアドバイスも全くなかった。
「次に向けて頑張れよ。」
の一言すらなかった。落ちたこと以上に頑張った自分を両親が認めてくれなかったことが1番悔しかった。本当に見返したい。
それだけでなかった。
酒に酔った母が、
「だからあいつはビッグマウスなんですよ〜」
と言いながら、嘲笑って親戚や知り合いに電話しているところを実際に見てしまった。
その時は本当にキレた。
「俺の気持ちひとつも考えてねえじゃねえか」
僕は両親を見返したくて仕方なかった。高校の先生に、友達に、知り合いに…誰にも褒められても喜ばない。ただ、両親だけには、少なくとも両親には、自分がちゃんと結果を残して、その頑張りを認めて、褒めて欲しかった。
ここで、大きな挫折に潰されて夢を諦めるわけにはいかない。このまま死んだら後悔しか残らない。
「なりたい自分になる」
一生しかないんだから、決してこの悔しさを忘れることなく、もう一度自分と戦うことにチャレンジしたい。
新たな挑戦。
やるなら自分にとって大きな挑戦になって最高に燃える大学。
世界中から優秀な人たちが集まるのは刺激になる大学。
レベルの高い大学の方が柳井正財団といった奨学金も充実している。
今起業を視野に団体を作ってビジネスの方でも活動しているのでシリコンバレー発祥の地にも行きたい。
自分がパッションを持ち続けるためにも最高の大学…
「スタンフォード大学に絶対進学します。そして、日本にも世界にも貢献できるビッグな男になります。」
- My Challenge For Stanford University -
【後編】人生最大のスランプと人生最大の努力
みなさん、お元気ですか?
2020年現在、日本の公立高校に通う高2男子、SEAです!
今回は、前回に続いて、今まで僕がどんな人生を歩んできたのか、簡単にご説明させていただきます。
生まれてから今に至るまですべてを話すとなると、ネタ切れになってしまうので、人生最大のスランプと人生最大の努力について語ります!
今回はその後編!
人生最大の努力
僕にとって人生最大の努力は、高校受験勉強です。
「いやいや、待てよと。お前、まだ16年しか生きてねえじゃねぇか!」
そんなふうに思う人もいらっしゃると思います。その通りです!僕はまだまだ経験の浅い若造ですが、少なくともこの16年間の中で最も努力したことが高校受験勉強でした。
次から詳しく見ていきましょう!
挫折直後のターニングポイント
前回の記事でもお話しましたが、合格発表後の災難にとてつもなく悩まされて、死にたいと思うほど病みました。本当に前を向けない自分も情けなかったし、中学受験に投資してくれた両親にも申し訳ない気持ちでいっぱいでした。後から聞いた話ですが、僕の中学受験にかかった費用は約100万円。僕が受験さえしていなければ、両親は海外旅行に行けていました。受かってたら良かったねってなりますが、落ちたら話はまた別です。お豆腐メンタルすぎて大変な時期でした。
しかし、そんな僕にターニングポイントが訪れます。
受験後。小6の3月。受かっていたら通うつもりもなかったのですが、また3年後の高校受験に向けて勉強しなければならなかったので、継続して進学塾Eの高校受験に向けたクラスに入りました。ところで、公立の中高一貫校の受験は、とても倍率も高くて「運ゲー」とも言われていました。とある中高一貫校の初年度の倍率は17倍だったとか。それでも、「いやいや、それは受験なんだから実力だろ。」っていう人もいると思います。それもそうだと思いますが、ただ、これだけ言えるのは、僕の友達に公立中高一貫校に落ちて高校受験でリベンジを果たして難関高校に結果として入ることができた人はたくさんいます。僕もその一人だと思います。中には、開成や筑駒、早稲田、慶應などに受かった友達もいましたから、必ずしも公立中高一貫校に行けなかったから、自分には勉強の才能はないと決めつける必要はありません。という意味で、「運ゲー」という話をしました。話を戻します。そんな訳で、その高校受験に向けたクラスには、結構中高一貫校に受験して落ちてしまった人がたくさんいました。もちろん、僕が受験した公立M中等教育学校に落ちてしまった人もいました。僕はそれが心強かったです。同じ境遇にいる仲間がいることは、「自分一人じゃないんだな」って思えるし、「一緒にリベンジできるように頑張ろうぜ」って気持ちになるからです。ですから、よりクラスの結束力は強かったと感じました。
時は、その初回の授業後に来ました。
授業後。僕は塾長のT先生に呼ばれました。塾長とは、その塾の校舎の中で一番偉い人です。ちょうど先生の入れ替わりもあって、新しくやってきた先生でもありました。その先生、T先生は後に僕の恩師となります。高校生になった今でも連絡を取っているくらいです。呼ばれた時は、挫折感でいっぱいだったので怖かったのと、僕だけ特別に呼ばれたという嬉しさからの期待感の両方がありました。
職員室の前の机のところに呼ばれました。2人が席に着くと、T先生がこう言いました。
「公立K高等学校に行こう。」
突然すぎてわけわかりませんでした。そもそも、K高は僕が住んでいた近辺で偏差値がとても高い高校で、優秀な知り合いですら落ちていた高校でした。「そんな高校にいきなり行こうって言われても、こっちは落ちたばっかの小6なんだけど…」と思いながら続けて先生の話を聞きました。
「あれだけ中高一貫校に落ちた人の中で、お前だけを呼んだのはなんでだと思う?お前には、ガッツがある。お前がクラスで率先して頑張れ。そしたらみんなも付いてくる。その落ちた悔しさを忘れずに、ちゃんとあと3年後の高校受験でリベンジを果たせ。もう戦いは始まっている。お前ならK高に受かる。」
僕は、とても嬉しかったです。闇の中でうずくまっていた自分に救いの手を差し伸べてくれた救世主のようでした。また、もうその日からたくさんの課題をもらいました。僕はそれを欠かすことなく、しっかりとこなしました。その日こそ、僕が人生最大の努力をすることになる転機でした。
最悪の中学生活スタート
気持ちが晴れずにいた中学入学
小学校を卒業し、中学校に入学することになった僕は、結局第2志望校には行かず、近所の公立中学校に行くことにしました。しかしながら、受験に落ちて行きたくなかった中学校でしたから、本当に入学式は最悪の気持ちだったことを覚えています。もちろん、周りには受験なんてしてない、まだ幼さが抜けない新中1ばかりでしたから、それに対して自分は勉強してきたんだというプライドはありました。ですから、周りの新入生が中学入学にワクワクしている中、僕は早く高校受験でリベンジしてやるという感じでした。僕の気持ちが晴れなかったからか、入学式は大雨でした。気持ちも天気も晴れない中学入学でした。
勉強に対する周りからのプレッシャー
僕が入学した公立中学校は、概ね3つの近所の公立小学校からの入学者でした。僕が卒業した小学校からの入学者もそこそこいて、その人たちは僕が小学校でどんな立ち位置でどんな学力を持っていたかも知っていました。ですから、入学した後、初めましての人たちから「お前ってめっちゃ勉強できるんでしょ!」とか「どこどこ受験したんでしょ。どうだったの??」(いやこの公立中学校に来てるんだから、受験に落ちてるやろ。)とか言われるわけでした。もうそれが嫌で嫌で、でも見栄は張っていたくて学級代表委員長になったりして、優等生オーラを出していました。同学年だけでなく、入部したサッカー部の先輩にも言われましたから、それも苦痛でしかありませんでした。そんな感じで、勉強に対するプレッシャーはとても大きかったと思います。
プレッシャーに押しつぶされた弱い自分
早期に志望校が決まるも、中学入学と同時に訪れた災難により、僕はどんどんそのプレッシャーに押しつぶされていきました。これは、親友にも言っていなかったのですが、僕は初めての定期試験で「大きな過ち」を犯しました。それは、答案を書き直して先生に採点ミスだと提出したことでした。数学のテストでした。なんでそんなことをしたのか、今では自分でも不思議で点数も90点台でしたからなんでさらに上乗せしようとしたのか、分かりません。おそらくプレッシャーに押しつぶされた弱い自分が、もっと高い点数を取って周りの人たちと差をつけたいと思っていたからではないでしょうか。そんな弱い自分をさらに情けなく思いました。
充実感を感じるようになった中学生活
正々堂々と戦うことへの誓い
大きな過ちを犯してから、僕は正々堂々と戦うよう誓い、更なる努力を重ねるようになりました。今ではあの過ちがなければ、弱い自分がどこか心の中にいるまま、高校受験に挑まなければならなかったなと実感しています。母から言われた言葉を覚えています。
「因果応報」
悪いことをしたら悪いことが、良いことをしたら良いことがやってくると。だから、正しいと思うことをしなさいと。そう言われました。それがまたひとつの転機になりました。
周りからの信頼獲得
正々堂々と戦うようになってから、勉強でも部活でも学校生活でも周りから信頼されるようになりました。定期試験の結果もどんどん良くなり、学年1位を安定して取れるようにもなりました。また、2年生になって先輩からキャプテンマークを渡され、サッカー部のキャプテンになり、チームを率いる大事なポストに就きました。キャプテンマークには歴代の先輩の汗が染み込んでいて、僕はそれを洗うことができませんでした。それから、生徒会長の誘いを受けて、生徒会副会長にも就任しました。その生徒会長とは今では僕の親友の1人です。正しく歩を進めるように後押ししてくれた先生方や友達にはとても感謝しています。特に中2は信頼が結果として表れるようになったと思います。
憧れの高校へ 文武両道への誓い
志望校のK高は文武両道としても有名でした。ですから、僕も文武両道として頑張れるように、日々練習を欠かさずやりました。個人的な目標に、地区の選抜に選ばれるという目標があって、それに向かって、毎日リフティング1000回やったり、シュートやパスの精度を上げたりと、自分の課題に合わせてメニューを組んで工夫して練習していました。部活が終わった後も、近所の公園で暗くなっても蹴りこみました。
サッカー人生における最大の挫折
そんな勉強とサッカーに奮闘していた僕にサッカー人生における最大の試練が訪れました。
「第5腰椎分離症」
整形外科の医師にそう言われました。原因はサッカーのやりすぎによる体への負担ということでした。治るのに見込みはなくて、少なくとも練習に復帰できるのは3か月後という話でした。正直、選抜に向けてあそこまで練習して、思ったことがありました。
「俺、サッカーで食っていけねぇな。」
ぶっちゃけJリーグとは言わずとも、トヨタみたいに会社員でありながらプロサッカー選手としてサッカーしたり、地域でサッカーのコーチとして教えたりできるレベルでサッカーを頑張りたいと思っていました。しかし、僕はあの怪我を機に、見切りをつけました。勉強でしっかり成果を出せるようにしようと。
最後の夏の大会
中3の4月頃。怪我から復帰すると、すぐに最後の夏の大会に向けて練習を始めました。もともと、チームはそこまで強くなかったので、まず予選を勝ち上がろうと必死でサッカーに取り組みました。実は、公式戦で一勝もしたことがないチームでした。「まず一勝」それをモットーに公式戦に臨みました。初戦。なんと僕が中学受験で落ちた公立M中等教育学校と対戦になりました。意地でも勝ちたいと思いましたから、前半から激しい攻防になりました。そしてPKのチャンスが来ました。PKをもらった2年生が蹴りました。「GOAL!」先制点を取りました。そしてタイムアップ。それがチーム初の公式戦勝利でした。その後も予選は続き、最終戦。勝てばトーナメント進出。しかし、最後の最後で競り負けました。それで僕の最後の夏の大会は終わりました。と同時に頭の中は受験でいっぱいでした。
受験勉強への専念
部活引退と共に始まった本格的な受験勉強
部活の引退が決まると、受験勉強により一層力が入りました。塾も授業が週6で休みの日も自習で塾に行っていましたから、毎日学校が終わると塾に行って勉強する日々でした。タスクがどんどんたまっていくので、その与えられたタスクに優先順位をつけて優先順位の高いものから、しっかりとワークアウトしていきました。どれだけ時間をかけたというより、どれだけタスクをこなせたかです。その点、勉強時間より勉強の質が圧倒的に良かったと思います。安心するまでひたすら勉強することでした。
死ぬほど勉強した「夏休み」
夏前から死ぬほど勉強していたわけですが、夏休みは死ぬほど勉強しました。具体的に言うと、朝7時に起きて8時30分には家を出て塾に行き、9時から12時30分まで宿題をやり、15分昼食休憩をとった後、13時から数学のテストを受け、14時には授業が始まり21時30分に授業が終わり、ちょっと自習して22時に帰って風呂入って軽く飯食って勉強して深夜1時くらいに寝る生活をしていました。勉強時間ってより、とにかく本当にタスクベースでものを考えていたので、その時間がないと逆にタスクが終わらないという感じでした。その成果は出たと思います。
「努力」が模試の結果として…
夏明け、どんどん模試を受けました。一つ思ったことは、高校受験勉強の手応えと、中学受験勉強の手応えが大きく違って、「俺、頑張ってるじゃん!」というのが実感できるようになりました。塾内模試で、塾内1位を取った時は本当に嬉しかったです。スキマ時間すら気を抜かずに積み重ねて勉強したので、それが少しずつ結果として出るようになったのは、モチベーションの維持に繋がりました。ただ、担任の先生にいつも顔色を見られて、「ちゃんと寝てるの??」って言われていました。個人的には、受験期は6時間睡眠で十分でした。寝てると起き上がって「これやらなきゃ」ってなる日もあったくらいでしたから。それは本当に志望校に対する「愛情」たるもののおかげでした。
思いがけない「合格」そして母の涙
そして、いよいよ受験シーズンに入りました。多分、5校くらいに出願しました。ただ、男子校には意地でも行きたくなかったので、共学しか受けていません。1つ目の受験は、地方の私立S学園でした。手応えがありまくっていましたので、普通に合格しました。これでなんとなく受験の雰囲気をつかむことができたと思います。2つ目は、第1志望校のK高の推薦入試でした。K高の推薦入試は独特で、小論文に文系と理系の2つがありましたから、なかなか面白かったです。僕は人と会話するのが好きなので、集団討論も個人面接も大いに楽しみました。一番効果があったのは、集団討論の前に周りの討論をする受験生とよく話したことです。これで緊張もなくなって討論を楽しめました。でも倍率も高かったのでダメもとでした。
合格発表日。落ちたと思っていたので、発表と15分くらいずらして見に行きました。人もちらほらで「まさかないだろう。」と思っていたら、なんと受験番号があったのです!!嘘だと言う母に受験番号を渡して代わりに見に行ってもらいましたが、ちゃんと合格していました。本当に嬉しかったです。頑張ってきて良かったと思える瞬間でした。ただ、びっくりの方が大きかったです。
隣で母が涙しているのを見て、「なんで俺より先に感動して泣いてんだよ。笑」とか思いながら、「今までありがとうございました。」と言いました。中学受験がダメだったからこそ、この合格はとても大きなものだったと実感しています。
一つ悔しかったことは、ほかの国立と私立の難関校を受けさせてもらえなかったことです。推薦は受かったら必ず行かないと行けなかったので、ほかの高校に受験することは中学校からもストップされました。父は公立K高、国立T高、私立W高の三冠を願っていたので、それは少し残念でした。
おわりに
以上が、僕にとって「人生最大の努力」でした。
今回の記事、いかがでしたか?
自分なりによく思い出してまとめてみました。ここまで長い文章を読んでくれた方々、ありがとうございます。
受験勉強を終えて、最も大切だと感じたのは「感謝」です。そもそも勉強できることは当たり前ではないし、世界には勉強したくても勉強できない子供たちがたくさんいます。まず、勉強できることに感謝して、受験が終わった時には「ありがとう」の言葉を言うことが何よりも大切なんだと思います。僕はこれから大学受験を控えています。また新たな戦いが始まります。これからも感謝の気持ちを忘れずに、努力を積み重ねていきます。
もし気に入って頂けたら、☆、「読者になる」ボタンをお願いします。家族や友達にもシェアしていただけるとありがたいです!皆さんの人生がより豊かになりますように!
【前編】人生最大のスランプと人生最大の努力
みなさん、お元気ですか?
2020年現在、日本の公立高校に通う高2男子、SEAです!
今回は、今まで僕がどんな人生を歩んできたのか、簡単にご説明させていただきます。
生まれてから今に至るまですべてを話すとなると、ネタ切れになってしまうので、人生最大のスランプと人生最大の努力について語ります!
今回はその前編!
人生最大のスランプ
僕にとって人生最大のスランプは、中学受験に失敗したことです。
「いやいや、待てよと。お前、まだ16年しか生きてねえじゃねぇか!」
そんなふうに思う人もいらっしゃると思います。その通りです!僕はまだまだ経験の浅い若造ですが、少なくともこの16年間の中で最も挫折したことが中学受験失敗でした。
次から詳しく見ていきましょう!
まず、「中学受験決意のきっかけ」について話します。
サッカーと遊びに全力だった小学生時代
僕は公立小学校に通う至って普通の小学生でした。実は小学1年生で父の仕事の都合により、転校を経験しています。しかも小学1年生の夏休みのことです。1つ目の学校にいた期間が短いですよね?笑 せっかく新しい友達ができたのに、離れ離れになってしまった。当時7歳だった僕には到底受け入れられない現実でした。
それはさておき、小学校受験してお勉強していたお坊ちゃまみたいな子供ではなかったということです。ベネッセの通信教育は受けていましたが、小3くらいから課題をためる悪い癖がついてしまったことを覚えています。
小学2年生の終わりの頃、地元のサッカークラブに入部しました。きっかけは学校の休み時間によくサッカーをしていて、サッカーが上手な友達のシュートがかっこよくて、「僕もサッカーが上手くなりたい!」って思ったからです。僕の父は、僕が何か習い事を始める時は、「息子の本気度」をめちゃめちゃ見極めますから、かなり動機は詳しく聞かれました。幼稚生の時からはスイミングスクールに通っていました。それも、スイスイ泳げる友達に憧れたからです。「憧れ」って原動力になりますよね。そして、父は承諾してくれて、週末にはチームの練習に参加しました。もちろん基礎からで、リフティングをやったのですが、その日の最高記録は4回でした。僕は本当にリフティングが苦手でした。初心者の父より下手でした。地元のサッカークラブのメンバーとして毎週土曜日と日曜日の練習、また平日の自主練習や個人的に通ったサッカースクールを通して、サッカーに熱中した小学生時代でもありました。
また、学校が終わると、友達と児童館に行って任天堂のDSでゲームをして遊んだり、公園でドロケイをして遊んだりしていました。ドロケイって懐かしいですね。学校の休み時間でもよく遊びました。バナナ鬼とか、氷鬼とか、めちゃくちゃバリエーションも豊富だったことは鮮明に覚えています笑
小学4年生での決意
そんなサッカーと遊びに全力だった小学生だった僕に決意の時がやってきます。小学4年生の時、父が僕に中学受験を勧めてきました。どんな経緯で父が僕に勧めてきたのかはまだ聞いたことがないので、わかりません。今度聞いてみます。僕が父であれば、「息子の将来のことを考えると、この時期から勉強すれば夢の選択肢も増えるのではないか。」という思いから、受験を勧めると思います。プロフィールにもありますように、僕は好奇心旺盛でしたから、「やってみよう!」という精神で中学受験を決意したのだと今では思います。そんな訳で、新たな挑戦に向けた受験勉強が始まります。
Z会で受験勉強を始めるも、、
小学4年生に決意してから、Z会の中学受験講座を受講しました。先程申し上げたように、もともとベネッセで勉強していましたから、それをやめて、Z会で勉強することにしました。なぜZ会かというと、当時、通信教育で「受験」となるとZ会が強いというか、開成、麻布、武蔵といった男子御三家といった難関校に通信教育で入学する子たちはZ会を受講している印象だったからだと思います。ベネッセはどちらかと言うと、補習のための通信教育という感じでしたから。今はどうかわからないので、事実と違うことを言っていたらすみません。
それからZ会で受験勉強を始めたのですが、「算数」で挫折しました。ベネッセを受講していた時から、わからない問題は両親に聞くようにしていましたが、算数の難問は小学生の学習範囲で解くというのは難しく、数強の父は僕に
「方程式を使えば簡単に解が求められる!」
とか言うのですが、
「それは中学範囲じゃん!!」
と反論して次第に算数嫌いになっていた覚えがあります。ていう感じで小学4年生の間は勉強していましたが、さすがに両親が全てを答えられるわけではなかったので、小学5年生で塾に入ることにしました。
本格的に始めた受験勉強
そういえば、まだ志望校を伝えていませんでした。いつ志望校を決めたのか?それは、小学5年生の時でした。僕の家はとてもじゃないけど裕福ではなかったので、まず、第1志望校に私立という選択肢はありませんでした。その頃、ちょうど公立の中高一貫校が流行りというか、エスカレーターで高校も入れるし、しかも公立だから学費も私立より安いということで人気でした。幸運なことに、家から自転車で10分くらいの所に公立M中等教育学校があったので、そこを受験することにしました。また、その学校の当時の男の校長先生がとても興味深い先生であったり、中学の修学旅行先がオーストラリアだったりしたので、それはモチベーションでした。
第1志望校が決まり、次に塾決めです。「公立に強い!○○」という言葉がキャッチフレーズの進学塾Eがあり、そこに体験授業に行きました。クラスの子たちがとても個性的で、授業がとても楽しい印象でした。結局、色んな塾を探した結果、進学塾Eに入塾することにしました。小5のGWのことでした。
進学塾Eでは公立中高一貫校の受験対策が万全でした。作文の対策と、理系分野と文系分野の対策がメインでした。クラスはとても賑やかで、騒がしくしていたことも度々あった記憶があります。先生や真面目な女子がよく騒がしい男子たちを叱ることも。僕も常習犯の1人だったかもしれません笑 それはさておき、そんな雰囲気は小6の夏休みくらいにはなくなり、皆が受験というものをとても意識し始めました。塾の先生は小5の頃から僕たちに、
「テレビは1日1時間まで。時間があったら勉強しろ。」
と、うるさいほど言っていました。僕は最初は守っていましたが、6年生になり、塾の授業の数が増えて(週6とか)、睡眠不足や疲労によって時間に余裕がなくなって、息抜きと思って勉強ではなく、テレビを見たり友達と遊んだりする時間も一方で増えていました。今では本当に反省しています。そんな感じで受験当日を迎えました。
あっという間に訪れた受験
皆さんは「受験のマジックナンバー」という言葉を聞いたことはありますか?いやこれが正式な名前かはわかりませんが、受験まで「4ヶ月」だと「まだ受験まで4ヶ月」と思い、「3ヶ月」だと「もう受験まで3ヶ月」と思うことを言います。この時間の過ぎていく体感速度には個人差はあると思いますが、僕はこれが本当だったなと思っています。もう3ヶ月過ぎてからは本当にあっという間でした。
受験が近づくと、「あれやらなきゃ」「これもやんないと」と焦りから色々と自分の中でタスクが出てきて、それを取捨選択してタスク処理すればいいのですが、当時の僕はそれができませんでした。ですから、何かをやり残した余力があるまま、試験会場へ足を運ぶことになってしまいました。
試験当日。
試験会場に行く前に、朝、受験校の近くの公園で決起集会をしました。コンディションは悪くなかったと思います。むしろ好調というところではないでしょうか。集会で話した先生の言葉がめちゃめちゃやる気を掻き立てた記憶はあります。
期待と不安を胸に受験校に向かって歩き、校門の前であのとき僕は止まりました。実は、前日に今までの感謝込めた両親への手紙を書いていました。
「…今まで応援ありがとう。頑張ってきます!…」
試験開始。
時間の経過は、あっという間でした。しかも、受けた年の問題傾向が大きく変わったので、焦りがものすごくありました。でも、それはみんなが同じ条件なので言い訳ですよね。正直、手応えはありませんでした。
試験後。
試験が終わると、そのまま進学塾Eに向かいました。答案再現です。その前に、答案再現をする別室で当時の塾の校長が、疲れ果ててぶっ倒れて寝ていました。それを見て、ここまで本当に先生も僕も皆も頑張ってきたなという思いが込み上げると同時に、手応えのなさから自分自身を情けなく思っていました。
本当に手応えがなかったので、早く書き終わって帰ろうと思いながら書きました。しかし、周りには同じように受験後の塾生がいるわけで、「どうだった?ねぇ、どうだった?」と聞いてくるわけです。2年間勉強してきたわけですから、「いや俺、絶対落ちたわ。」とか言いたくありませんでした。だから、「運が良ければ受かるかな〜」みたいな感じで軽く流したと思います。本当は焦りで頭がいっぱいだっただろうに。
答案再現が終わり、車で迎えに来てくれた母のもとへ行きました。受験後最初に母に言った言葉は忘れられません。
「ママ、お弁当よろしくお願いします。」
なぜお弁当なのか?受験した公立M中等教育学校には給食があり、一方、近所の公立中学校には給食がありませんでした。(一応、デリバリー式の給食はありましたが、それは本当に美味しくないと聞いていたので、お弁当と考えていました。)
そうです。僕は完全に不合格を認めたことを暗に表現したのでした。本当に自分の存在意義すら感じられないほど病んでいました。しかし、相変わらず母は楽観的ですから、お弁当発言に対してウケていたと思います。
合格発表後の災難、、
合格発表日。
僕は普通に小学校に行ったので、両親が結果を見に行きました。だから結果を知ったのは帰宅後でした。少しばかりの期待をしながら、玄関に駆け込みました。何かを言いたそうだけど、なんとも言えない顔をした父が僕に告げました。
「よく掲示板を探したけれど、受験番号は見当たらなかった。」
僕はすぐに2階の自分の部屋に行き、ベッドで布団にくるまって泣きました。数時間。予想は出来ていた結果だったけれど、今まで頑張ってきた受験勉強を思うと、悔しくて悔しくて仕方がありませんでした。あとから聞いた話ですが、父は隅から隅まで僕の受験番号を探したようです。あんなに頑張った息子が落ちるわけが無いと思ったからでしょうか。泣きじゃくる僕に、両親は焼肉屋に行こうと提案してくれました。今までで1番後ろめたく感じながら食べた焼肉でした。
それからがまた災難でした。色んな人から結果を聞かれるわけです。それだけ期待もされていたから当然でしょう。僕が第三者でも結果は気になります。学校の友達に、サッカークラブのチームメイトに、親戚に…聞かれたわけです。12歳の僕には辛すぎました。1番辛かったというか、腹が立ったというか、学校での出来事があります。当時のクラスメイトであり、サッカークラブのチームメイトでもある友達に、
「俺が受けたら受かってたな。」
と言われたことです。受験、ましてや受験勉強もしてないのによくそんなことが言えるなと、悔しかったし腹が立ちました。まあ寛容でなかった自分にも問題はありますが。そんな訳で、当時の僕は「お豆腐メンタル」でした。切り替えができませんでしたから。
おわりに
以上が、僕にとって「人生最大のスランプ」でした。
今回の記事、いかがでしたか?
自分なりによく思い出してまとめてみました。ここまで長い文章を読んでくれた方々、ありがとうございます。今思い返せば、早く切り替えろって話ですが、この後に人生の転機が訪れます。次回のテーマは「人生最大の努力」です!ここから僕の快進撃が始まります。お楽しみに!
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【高校の先輩から学ぶ】私が海外大学に進学した理由 | 世界最高峰UBCへの挑戦
今回のテーマは、僕が通っている高校のK先輩から学んだ「私が海外大学に進学した理由 | 世界最高峰UBCへの挑戦」です。
テーマにもあるように、2020年現在、K先輩はカナダにあるUBCという東大より世界大学ランキングの高い大学に通っています!僕の5つ上の女性の先輩で、色んな繋がりで今回お話を聞くことができました!
許可を頂いたので、そのまま会話の形でブログにさせていただきます。
【海外大学進学を決めた私のモットー】
「私はいつも人生を一つのキャンバスみたいに考えてて。次に何を描き足すのかは自分次第な訳だけど、手元に5色しかないのと30色あるのじゃ選択肢の幅は一目瞭然で。カナダは多文化主義な事もあって、同じ学校に150ヶ国からの生徒達がいるのね。周りの15人を足して均等に割ったのが自分になるって考えたとき、そこで触れられる価値観、感性、知識はどんなに有名な大学で習う事よりも豊富だと思ってる。
たった一度きりの人生を自分がどんな姿勢で生きるのか、何を大切に進んで行くのかって考えた時に、 "行く大学=ステータス"、 "選ぶ学部=ブランド”の方程式は私にはあまり魅力的じゃなかったかな。地球儀の中でみたら日本ってとっても小さい島国で。"Go out of the box"って英語では良く言うんだけど、『もっと広い世界に飛び込みたい』っていう好奇心とか、海外で何十ヶ国もの人と高め合う自分を想像したときの心の躍動感とか、そういうモノに価値観を置いて留学を選んだかな。
学術的な面で言うと、高校卒業までにやりたい事が見つけられなかった私にはカナダの教育システムはすごく合ってたと思う。カナダ/アメリカでは何度でも学部を変えられるし、自分の興味分野が定まるまでは専門を選ばないで色んな教科のクラスをいっペんに取る事もできるの。ある大学に行きたかったけど1年目に入れなかったから2年目から編入する、とかもすごく恒例かな。受験戦争が激しくて、サークルとかバイトも盛んな日本の大学とは少し違って、北米の大学では勉強はもちろん、スキル実践のために実際に仕事場ボランティアに送りこまれたり、講義中に教授との議論は当たり前だったり..一か八かの受験が存在しない分、毎日の成果が一つ一つ評価されて、卒業まで辿り着いたらやっとDegree(資格)が貰える仕組みになってるかな。
私の行ってるUBCは世界ランキングでは東大よりも上だってこともあって、高校の同級生や先生と会うと「世界的に名門の大学に行っててスゴイ」としか言われないのは少し寂しいかも。どんな環境でどんな人たちと、何よりも自分がどう成長し何を学んでるのか、が大学に行く事の1番の理由だと思ってる。すごく小さい大学でも、もしくは大学自体行かなくても、それが達成できるなら意味ある時間を過ごしてるんじゃないかな。
まとめると、一人の個性あるヒトとして殻を破って考えてみるといいかも。他の誰かに認められるためじゃなく、自分が100歳になったときに誇れる選択をすること、それが私のモットーになってるかな。」
次は、海外留学(今回はカナダ)のメリットとデメリットです。
【カナダ留学のメリットとデメリット】
メリット
「留学してから私の価値観は信じられないほど広がったし、今の日本に足りない事がすごく見えてきたと思う。例えば男性が育休を取れない現状とか、性別が真ん中の人(笑)のためのトイレが学校にないこと。とか、両親が学費を払うこととか..日本では当たり前の事って、海外では結構特殊なんだよね。日本は平和な国って思いがちだかど、海外では日本での美意識とか人種差別の認識が遅れてることで話題になってたりとか。そういう事ってやっぱり一度外に出てみないと見えてこないと思う。あとは海外旅行しなくても150ヶ国の人と話せるのはやっぱりワクワフクするし、それだけの文化を学べるのはとっても魅力的かな。」
デメリット
「学費が高いこと。もちろん少なく抑える方法は沢山あるんだけど、学費だけでも最低1000万はかかるかな。」
【番外編】カナダ留学について
カナダ留学を考えてる人は必見です!
「カナダにも2年制の単位(certificate/deploma)と、4年制の単位(bachelor's degree)があって、2年制のプログラムが大体100~120万/年なのに対して、4年制のは300~550万/年なのね。だから1年か2年College行ってから4年制のUniversityに3年生から編入する人が9割ぐらいかな。それで学費は800万ぐらい節約できるし!
あとは、2年制のDeplomaを貰うと就労権がもらえて結構いい所で働けるから、1•2年働いて永住権を取って、3年生から編入する人もいる。カナダ国籍or永住権保持者は学費がUniversityだと50万程度で安いから!2年間働いた分も学費に回せるし、永住者だったらカナダでのその後の生活にも便利だし一石二鳥、って感じかな!
私は2年間のプログラムをCamosun Collegeっていうカレッジでやってから4年制のUBCに3年生から編入したのと、大体の人が取るESLプログラム(英語学習だけの語学研修みたいなやつ)を取らなかったことで1000万近く節約したかな! IELTSが6.0か6.5(学校による)あるとESLはスキップできるよ!TOEFLとかも基準があるからそれでもいいけど、私はIELTS 9.0で基準超えて通ったかな。
日本ではカレッジから編入ってほぼ聞かないと思うし気こえがあまり良くない?って思う人もいるかもしれないけど、カレッジの方が教えるのに特化してる教授が多くてクラスのサイズが小さい分、カレッジから始めた生徒達の方が伸びが大きかったりする事もあるんだ。Univの教授たちは基本研究第一で教える方は本意じゃないことも多いからね.. どちらも優秀なのは間違いないけど!
あとは編入しようがしなかろうが同じ資格/卒業証明書が貰えるし、就職に関係も全くないよ! もし1年次からUnivに入りたかったら高校の成績で決まってすごく競争率が高いのに対して、編入だとカレッジでの成績で決まるからGPA(成績値)が上げやすいし、入りやすかったりもする!」
以上になります。個人的に、IELTS9.0というのは驚きですね。😅
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とても参考になる、刺激的な記事だったのではないでしょうか?
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